森本誠士パフォーマンス@General Public 11.01.2008



実験音楽のライトモチーフのうちの一つに次のテーゼが挙げられる。

 如何に演奏の形態を解体するか

昨日の森本さんはすべてのパフォーマンスを通じてまさにそれを具現化していた。


#以下、ネタバレです。すみません。


最初のパフォーマンスは、ペインティングナイフをモジュールに、ディレイ、ループ等を使って音像を重ねていくスタイル。ミキサーやエフェクターの摘みをひねることによって、パタパタとナイフの立てる音がマイクで拾われ加工され出力される事により"演奏"という形態へ収束していく。


fleckfumieの演奏の後、再びパフォーマンス。


暗がりの中で、"アーアーアーアー"という声を発しながら、森本さんは立ち上がったと思うと、その場を駆け足で退場。"アーアーアーアー"という声に体の振動から生まれるビブラートがかかる。その音が無線マイクに拾われ、本人不在の会場でスピーカーから流れ続ける。会場自体が正面性の高いステージの様な物を設置していなかった為もあり、もはや中心を失う。本人が再び会場に戻って来たかと思うと、仕込んであった録音機とおぼしき物のスイッチ切り替えを行い、再生を開始、それに併せて再び"アーアーアーアー"という声を発しながら退場する。

これを数回繰り返した後、二つの録音音源と生の声をミキサーで混ぜ、ふたたび"演奏"という形態へ収束していく。しかしながら前回と大きく違うのは、数回の退場によりパフォーマンスという身体性がそぎ落とされ、会場の中心性が欠落したかの様に感じられた事だ。現にそれを意識してかしていまいか、観客の多くは摘みをひねる森本さんの背中を見る位置に居た。


そしてまた、その後5分の休憩を挟んで、再び暗がりと静寂の中でパフォーマンスが始まった。いや、会場の照明が完全に落ち、しんと静まり返り、何かが起こるのを待ち始めた、と言った方が正確かもしれない。その暗がりの中でタバコに火をつけるライターの音が聞こえ、一瞬の炎が一角を照らす。その様なことが数回繰り返されたが、果たしてこの音なのか、そう思い耳を澄ましていると、瞬間湯沸かし器でお湯の湧きあがる音がした。沸騰が完了しスイッチが切れると、カタンカタンとグラスを触る音、そしてそこに注がれる音がする。もはや"演奏"という行為自体が、一連の行為により発生する音へと切り替わっていた。

 お茶を沸かしてるのか?

などという観客のつぶやき声が、繊細に響く行為の音と入り交じる。多くの観客がその行為自体を目の当たりに出来ないのだ。それでもその行為に耳を傾ける緊張感は途切れない。

すると今度はとても小さな音でパカッ、パカッという音が聞こえる。体を乗り出して確認した所、鏡の上に伏せたグラスが、膨張した空気を押し出す際、静かに、そしてゆるやかに音をたてていた。この音の出る感覚がどんどん開いてゆき、そのままパフォーマンスは終了した。


何が起こるかを常に見張りたくなる緊張感を生み出すという点に於いてのみ、演奏者と鑑賞者の関係が成立している。それを除けば、如何に演奏という行為が軽やかに解体された事か。

そんなこんなで、ドキドキさせてくれる催し物に身近に出会えるのは本当に幸せである。