ともだちがベルリン本をつくりました

CITY BOOK OF BERLIN (P-Vine Books)

CITY BOOK OF BERLIN (P-Vine Books)

見ての通りのおしゃれそうなガイドブックですが、ところがどっこい!

続きを読む

その他Berlinaleで見た映画

「かぞくのくに」
http://www.berlinale.de/en/programm/berlinale_programm/datenblatt.php?film_id=20127122
ヤン・ヨンヒ初の劇映画。といっても彼女の実体験に基づいているので、特に違和感無く3本目の映画を見た、と言う感じだった。

あと
「parada」
http://www.berlinale.de/en/programm/berlinale_programm/datenblatt.php?film_id=20121334

「letter from zoo」
http://www.berlinale.de/en/programm/berlinale_programm/datenblatt.php?film_id=20126625

どちらもいまのところ日本公開はどうなっているか知りません。

続きを読む

少し遅くなったけどBerlinaleの事を。

今年はおそらく自己最高記録、7本みました。

うち3本は義務だと思って原発関係。
「Nuclear Nation」

http://www.berlinale.de/en/programm/berlinale_programm/datenblatt.php?film_id=20123182

無人地帯」

http://www.berlinale.de/en/programm/berlinale_programm/datenblatt.php?film_id=20126207

「friends after 3.11」

http://www.berlinale.de/en/programm/berlinale_programm/datenblatt.php?film_id=20126737

続きを読む

8 TAGE IN JAPAN UND DIE UTOPIE EURASIA

結局ほとんど見れなかったのだけど、見たところをつなぎ合わせて印象スケッチ。かなりザツに書いていますけど悪しからず...。

見た映像は...以下の順

  1. ボイス、日本に降り立つ
  2. 小石川植物園、そして旅立ち
  3. 中沢新一との対談
  4. プレスカンファレンス+コヨーテ(ただし途中で時間切れ...)

中沢新一との対談にはじまり、東京芸大での学生との対話集会(これは以前本で仕入れた知識だけど)、どうも日本人アーティスト、文化人との対話にもともと期待を抱いていなかったんじゃないか、という印象すら持った。この時点ではEURASIAという響きは、とても皮肉に聞こえた。彼はヨーロッパからアジアを越え日本に来たけれども、一つの巨大な大陸が同じであるという彼のテーゼを満たしてくれるような体験、例えば彼と話の出来る人物ははなからいない、とでも感じていたかのようだった。

カンファレンスでは彼の『社会彫刻』という概念をじっくり説明していた。資本主義、共産主義ではない『社会彫刻』。人が愛でもって自分の仕事が出来る社会。貨幣と法と文化。貨幣を正義のために使うよう法律で位置づける、などなど。

彼は自然科学を勉強した後、芸術を勉強したけれども、どちらも人間の本質に迫るような事は学べなかった。面白かったのはこの話の流れでマルクスフロイトを同列に並べて語ったところ。彼らは肝心の人間自身の話になると全然違う方向に逃げ出してしまう、という点で同じだとか。そして芸術も結局のところ、美術館やギャラリーといった制度の上での仕事になってしまう、と(ここらへんかなり強引にまとめてマス)。だから彼は学業の後にアクションをし、ディスカッションをした。そうやって自分の芸術理論をゼロから作り上げて行った。それが『社会彫刻』理論、だと。

最後に「浦和の工場を訪れたボイス」をチラ見。このときの表情がしごくご機嫌だった...あれはいったいなんだったんだろう? 想像するに、真心で以て仕事をし、プライドを持っている人々、まさに『社会彫刻』の実践者がそこにいたからなのか、といった印象を受けた。


もしかりに日本に『社会彫刻』の実践者を見いだしていた、これをユートピアとして描き出していたのなら、結局何も解決していない。あるいはこの後日本は「資本主義によって」酷くなっていったのか...。彼が最後に「日本人の心を見て取りました」そうコメントしたけれども、あれはリップサービスだったのか、それとも本心だったのか...そういう疑問が残った。


もうすこしこの時代の背景を考慮に入れてみると、ヨーゼフ・ボイスというアーチストへの理解が当時(もしかしたら今も??)全然足りていなかった、そういう状況にボイスが来日して展覧会をした。ここら辺、当時の美術批評家の責任は重いなとも思うけど、やはり未だに日本にいるとヨーロッパで何が起こっているか、同じ空気を吸うのは困難な事だと良く理解できるので何とも言いがたいが、なるべくシームレスに話が出来るような環境に持って行く責任の一端を我々は担っている、とも痛感する。

彼の話自体はそんなに分かりにくいことはなかったけど(ドイツ語で理解できた範囲だけど)...。ある程度前もって知識のある状態で聞くのと、よくわからないまま彼の話を聞くのとでは理解は全然違うだろうなぁ


それはそれとして、生まれて初めて1/1の美術館に行ってみたのだけど、元旦の神社宜しくたくさんの人出...正直びっくりでした。おそらくベルリン外の観光客が半分以上を占めていたんじゃないかな、等と妄想。

家政婦のミタ、見た。

半分グチなので読まなくて良いです。

テーマが家族の回復...こうやってまた「家族」という神話が再生産されて行くのか、という残念な感想が正直なところ。プロットも、各回にあわせて特定の登場人物を中心に話が展開し、それぞれの回で何かしらのテーマが克服されたら、次回からは大丈夫、という展開(まるで特撮のようだ!)。演技もあまり練られていないし、それがことさら話の構造にしか目が向かない原因にもなっている。そんなこんなで話の流れはだいたい想像がついてしまいました。とりあえず野波麻帆忽那汐里を見たくて最後まで鑑賞...。


似たようなテーマやプロットから比較してみると、『すいか』は本当に面白かった。家族がいなくても全然大丈夫、なんとかやっていこうとしている、別の人間関係/コミュニティを提示したところが全然良い。逆を言うと、本当に家族っていうプラットフォームに賛同する人が多いってことなのだろうか?

それにしても視聴率40%越えって...正直信じられません。というか40%超えたドラマ、俺は常に60%側にいたけれど。

喜劇を創りたい

で、その第一弾。

喜劇を創りたい。

アンダーグラウンド』のような、『ライフ・イズ・ビューティフル』のような、政治的歴史をきっちり見据え、かつそれが笑えるようなヤツ。あるいはこの先の行く末を暗示しつつも笑い飛ばせるような話。

映画、というフォーマットにこだわらず、なんらかの媒体を用いた表現であればそれでよい。

突然ですが

ここ3ヶ月ぐらいでこのテーマ、ベルリンのアートとドイツ映画、をいったん終了し別にブログを立ち上げようと思います。

ここは個人的な創作ノートに移行しようと思います。今年の展覧会で、「自分の面白いと思うものは間違いなく面白い」という少々傲慢な自信がついたので、ここ1年は創作しつつ、その先を見据えた活動にしたい、そう考え中。

あと、どのぐらいの人が見ているのかよくわからんので、とりあえず公開してますが、そのうち閉鎖するかも。