SEX WORK // BuBuさんとの再会

最近分かった事なんだけど、NGBKで良い展示が見れるにはそれなりの訳があった。企画が実現するまでの組織的なプロセスが一般的なギャラリーやアートスペースとは一線を画する仕組みになっており、そうやって数十年運営されて来た歴史のお陰のようだった。残念ながらこの話は今日の本題からそれるので、また別の機会に。


で、今回の展示の話。SEX WORKSと題して性風俗にまつわる神話と現実をテーマに展示が行われていた。参加アーティストはPatrick Angus (US), Amos Badertscher (US), J. Jackie Baier (DE), Cristiano Berti (IT), Bianca Bodau (DE), Ursula Biemann (CH), Viviana Bravo Botta (CL/DE), Jose Luis Cuevas (MX), Jean-Ulrick D?sert (US/DE), Antje Engelmann (DE), Stefanie Gaus (DE), Ditte Haarl?v-Johnsen (DK), Birgit Hein (DE), Gabriele Horndasch (DE), Karin Jurschick (DE), diek?nigin (AT), Natalie Kriwy (F/DE), Ane Lan (NO), BuBu de la Madeleine (JP), Anna Nizio (PL/DE), Eva Maria Ocherbauer (AT/DE), Beate Passow (DE), Anja Plani??ek (SL), Tadej Poga?ar (SL), Clara S. Rueprich (DE), Tejal Shah, Dr.Floy, Natasha Mendonca and Sumathi (F, IN), Judith Siegmund (DE), Alberto Simon (BR/DE), Ulrike Solbrig (DE), Itziar Bilbao Urrutia (ES/GB), Social Impact (AT), Borjana Ventzislavova (BG/AT), Rommelo Yu (PH/DE), Yoshiko Shimada (JP), Gloria Zein (DE)


http://ngbk.de/typo3/index.php?id=235



なかでもNGBKの展示で一番目を引いたのがやはりBuBuさんだった。もちろん彼女の事を知っていたから、という事もあるのだけれども。BuBuさんは知っている人は知っていると思うけど、Dumb TypeとかOKガールズとかやってらっしゃる方で、俺は昔1997年(?)、オオタ・ファインアーツでのアーティストトークでお話を聞いて以来とんとご無沙汰なんだけど、その関西弁とサービス精神にあふれる優しい語り口がとても印象的だった。


そして、ご存知のかたもいらっしゃるとは思うが、彼女はいわゆる"売春婦"を職業としている。今回の展示作品では、BuBu's Diaryと題して、日本では合法的に存在し得ない彼女の仕事のこと、彼女の"客"であるMさんとの"コラボレーション"としての"ポルノグラフィ"がモチーフとなった映像作品だった。平たく言い直せば、彼女の心象風景的な映像スケッチとお客との本番行為。正直静止している様を他人から観察されるのが少々恥ずかしかった。斯くして僕は懐かしい再会を、いささか微妙な状況で果たしたのだった。


この作品について、記憶に残った昔の出来事も合わせて、その晩一日中ぐるぐる考えていた。


今から思い起こせば、それはいったい何を語る為の会だったのか、というのがはっきりと思い出せない。覚えている事はアーティストトークのようなタイトルを冠していた事、会場は嶋田美子さんの展覧会(個展だったか2人展だったかは忘れた)のあったオオタファインアーツだったこと。会は嶋田美子さんの作品の上にBuBuさんと嶋田さんが座り(その後嶋田さんは横たわり...)それを囲む形で行われた事、美術評論家のOさんが"僕は美術の話をしに来たのだから、美術の話をしないのであれば帰る"と言って会のはじめの方にその場を去った事ぐらい(書いて見ると結構覚えているか)。あと、それに前後して、バクシーシ山下か誰かを引き合いに、何がポルノで何がアートか、を語ろうとしていた人がいたことも思い出した。(で、その人はその場から浮いてしまい、話は遮られてしまった。)


さて、話を今作に戻そう。前述の様な彼女の作品がギャラリーに展示されている時点で、何がアートなのか、という議論がどこからともなくわき上がりそうだ。(いや日本ではあらためてそれを語る必要がないぐらいの土壌がもうできあがっているのだろうか?)ここで彼女の作品をアート作品として成り立たせているものは何かと考えたとき、次の二つが挙げられるだろう。


1. アート作品としてのプレゼンテーション/マーケティング
2. 法律的根拠の無い当事者性としてのみ成立する表現


1.については、ギャラリーで展示している事、オオタファインアーツが関わっている事、アートシーンに向けての発信がある事、だろう。もちろんこれは、いわゆるアダルトビデオとしてのパッケージングやマーケティングが美術作品と同列に不可能である、ということではない(逆を言えばAVだってアートとして提示されうる)。


2.については、BuBuさんであるからこそ表現し得た事だ。
売春婦として法的にあやうい自分の存在。人には明かせない仕事場への出勤。そしてお客との関係。そこに映し出された彼と彼女の関係は、金銭を介したドライな関係ではなく、信頼と情愛のある別モノ、だった様に思えた。


体を張ったBuBuさんがそこにいた。これがアートなのかとどうかという議論はさておき、ここにやはり作品の核はありそうだ。そしてその瞬間、自分にとっては苦しい判断を迫られるように思いついつい周りの視線を気にしつつ、目を背けつつも、心にとても引っかかるものが残ったのは確かだった。


如何に彼女の作品を語るか、それはとても難しいことの様に思ったが、記録としてついつい書いてしまいたくなる、そんな引っかかりが心に残った。